環境コラム☆辻理事長@藤前干潟を守る会による環境へのメッセージ
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ダイシャクシギ83



子どもたちの憧れる名前に決まった、「ガタレンジャーJr.」の公募が始まった。
何かと急ぎすぎる社会の中で、一年かけて藤前干潟の自然や生きものとふれあい、
そこから子どもたちが見るもの、気づくものをじっくりと待ちたい、今の時代には、贅沢といわれそうな体感学習の試みをさせてもらえることになった。
昨年八月、ボーイング社の方が来られ、「新型旅客機の部品の3割を製造してもらっている中京地域にお返しの社会貢献をしたい。貴会の活動に注目したが、手伝えることがあるか?」ということだった。

胸に浮かんだのは、その前年春に藤前に来訪したGrange Over Sands(イギリス)の子どもたちのこと。私は会えなかったが、その夏、子どもたちを率いたカーステイ祖父江先生が再来され、「旅行で余ったお金を守る会に寄付したいと子どもたちが決めたので受け取ってほしい」と、みんなの笑顔と手書きメッセージを添えて渡された。子どもたちは旅行代金を、みんな何か自分で仕事をして作ったので、余りの使途も自分たちで決めたのだという。(ダイシャクシギ78号4ページ参照)

 喜んで受け取ったものの、日本でもこんなふうに子どもを育てられないか?自発性を育てる仕組みを考えるまで、このお金は勿体なくて使えないと思っていた。
ボーイング社からの申し出に、日頃の思いを実現する機会と直感して話してみると、「それにはいくら要りますか?」と聞かれ、十万ドルもあればと言うと、「いいでしょう、では助成申請の手続きをインターネットで進めてください」と帰られた。

それから半年、年末の不況でドルは暴落したが、予定通りの助成金を頂いた。
太っ腹のボーイング社さんに感謝し、必ず喜んでもらえるようにと準備している。
幸い、こんな大人に育ってほしい見本のような、高山博好さんをコーディネーターに迎えられた。いざ、子どもたちよ、集まれ、思いっきり干潟で遊んでほしい!
そこから見える、地球の今をみつめ、きみたちの未来を創っていってほしい。
ガタレンジャーもみんな、ワクワクして待っている。
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ダイシャクシギ81

いのち

「いのちの声」を聴こう            辻 淳夫

 生物多様性COP一〇のナゴヤ開催が決まって二週間後、二年間の初仕事に来日されたジョグラフ事務局長は、まず地域NGOとの意見交換を望まれた。
「生物多様性」を分かりやすく伝えるには?の質問に、
「ライフ(いのち)です、生物多様性のないところ、森や湿地、水や食料のないところにいのちはない」と即答。加えて「人々に分ってもらうのに、科学的な言葉だけでは足りません。シンプルな言葉で心に訴え、共感し、ともに行動してもらうのに、NGOの働きかけが重要です。」といわれた。

 専門家には必要でも、絶滅危惧種の話は、持続性の危機を伝える代わりに、生物多様性を「希少生物を守るための」と、誤ったイメージを与えたようだ。遺伝子組み換え作物の安全保障、利益の公平な配分、バイオ燃料と、グローバル経済や南北問題の議論が集中したCOP9・ボン会議で、課題の広さと重さに気づいたのは、誘致した方々のみならず、NGOの私たちもだった。

私たちがよく「分かる」のは、体験や実感がともなった、事実だろう。
身の回りにいた生き物が消えたり、普通に食べていた食材の変化から分かると思っていたが、世界から食料を集め、「飽食」を原体験としてもつ現世代に、そうした変化を感じられるはずもない。

思えば、生物多様性会議の開催は、そんな私たちに、地球の暮らし方全体を再考する天与の機会を与えてくれるのではないか?生きものたちと人々の声を聴き、世界の南北問題を、伊勢湾流域の課題と重ね合わせ、第一次産業の復権と都市の自律をつなぎ合わせる方策を見つけられるかもしれない。
藤前で育てた感性「センス・オブ・ワンダー」を生かして、素敵な生き方を見つけ出す、「センス・オブ・ライフ」も育てたいと、今思いはじめている。                           
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ダイシャクシギ82

ながれ

  時の人、福岡伸一さんの講演を聞いた。
「生物と無生物のあいだ」は五十五万部の大ブレーク、誰もが関心を持つテーマだが、「もう牛を食べても安心か?」で、狂牛病の解析からいのちの仕組みに迫る、平明で詩的な文体に読者が魅了されたからでもあろう。ロハスを実践する福岡さんの、ゆったりとした話しぶりに、時の立つのを忘れた。

 ―食べた分子は、忽ち全身に分散し、一時とどまり、また抜け出ていく―シェーンハイマーが発見した「動的平衡にある流れ」こそ生命のありようという。私たちの身体は、臓器や骨格でさえ、分子レベルで常に更新されているというイメージはやや意外だが、方丈記に親しんだ日本人にはなじめる。
福岡さんは、輝ける先端分子生物学が、生命をミクロな部品の集まりと見るこれまでの機械論的生命感を否定し、臓器移植や、遺伝子組み換えなどの、操作的介入の限界を示しているという。

やわらかな適応力と滑らかな復元力をもつ生命に感動し、生命に部分はなく、全体とつながり、環境ともつながっていると言われたのも新鮮だった。
体を構成している炭素は、地球上で有限であり、生命は、還元状態にある炭素しか利用できない。食料も燃料も、還元状態の炭素であり、それを燃やしてエネルギーを得れば燃えカスは酸化状態の炭素CO2になる。CO2から炭素を得る、逆方向の営みをしてくれるのは植物しかない。酸化→還元にはエネルギーが必要で、太陽を使った光合成がその全てなのだ!

森を伐ることも、干潟を埋めるのも、まさにこの根本摂理に反する。
折しも韓国で開催されるラムサール会議は「健康な湿地、健康な人々」がテーマだ。私たちもブース参加するが、謙虚に自分たちの体験を伝え、自分が生かされている環境とどうかかわるのか、「生命のもつ時間」という視点からも考える機会にしてきたい。              辻 淳夫
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